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このサイトの主旨:それぞれの時代を過ごした若者に、感銘を与えた、J−POPのアーチストを、思い出せる限り紹介いたします。
団塊の世代から、今の若者たちのために、私のコメントをつけながら紹介していきます。
それぞれの、思い出のアーチストを、懐かしみ、現代のJ−POPで活躍しているアーチストの未来を占い、
知られざる部分も掘り起こして紹介していこうと思います。
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| TOP>フォークシンガー(男性)>吉田拓郎 |
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1946年4月5日、鹿児島県生まれ。
1966年、コロンビアフォークコンテストに出場し、特別賞受賞、決勝退会で3位になる。
1970年、シングル「イメージの詩/マークU」でデビュー、ファーストアルバム「青春の詩」発売。
1971年、中津川フォークジャンボリーに出演。このステージ色々トラブルがあり、サブステージで
観客の少ない中で、「人間なんて」をマイク無しで歌い続ける。(怒鳴り続ける)2時間近く怒鳴り続け
観客も増え、共感を呼ぶ。
小室等の「メインステージに行こう」野一言で、観客ともども、大移動。しかし演奏は中止される。
これは有名な話である。
同年、TBSの「パックインミュージック」のパーソナリティになり、ファン層をますます広げる。
この年、後藤由多加と拓郎で、あの「ユイ音楽工房」設立。
1972年、「結婚しようよ」リリース。大ヒットになる。
同年、「六文銭」の四角佳子と結婚。これが、商業主義ととられ、コンサートでは、「帰れコール」
を浴びる。
「旅の宿」リリース。これも大ヒット。 アルバム「元気です」発売 全国ツアー開始。
1975年、「小室等」「井上陽水」「泉谷しげる」と「フォーライフレコード」設立
同年、「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」を敢行、6万人の観客を集め、
伝説のコンサートになる。
1978年、文化放送「セイヤング」のパーソナリティになる。
その後の活動は、たくさんありますが、拓郎としては、割と一般的なので割愛します。
ヒット曲その他、「シンシア」「となりの町のお嬢さん」「元気です」等
嫉妬を含めて?・・・結婚歴を紹介します。
2番目の奥さんは、アイドル出身の「浅田美代子」
3番目の奥さんは、女優の「森下愛子」この「森下愛子」は、日活ロマンポルノ出身(今の成人映画)
私は、作品を見ました。スタイルはいいですよ〜
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