| |
|
| |
|
|
このサイトの主旨:それぞれの時代を過ごした若者に、感銘を与えた、J−POPのアーチストを、思い出せる限り紹介いたします。
団塊の世代から、今の若者たちのために、私のコメントをつけながら紹介していきます。
それぞれの、思い出のアーチストを、懐かしみ、現代のJ−POPで活躍しているアーチストの未来を占い、
知られざる部分も掘り起こして紹介していこうと思います。
|
スポンサードリンク
|
| |
| TOP>フォークシンガー(男性)>井上陽水 |
 |
1948年8月30日生まれ。福岡県出身。 現在の奥さんはやはりフォークシンガーの「石川セリ」
1969年頃は、「アンドレ・カンドレ」の名前で活躍。デビュー曲「カンドレ・マンドレ」をリリースするが
ヒットせず。 シングル3枚出すが、反響が無く「アンドレ・カンドレ」の時代は終わる。
1972年、芸名を「井上陽水」に変更。再デビュー曲は「人生が二度あれば」
アルバム「断絶」の中の「傘がない」が注目される。
さて、私は売れていない頃の「井上陽水」を、渋谷「ジャン・ジャン」で見ました。学生時代でした。
やはり「傘がない」は印象的で、アンコール曲にこの「傘がない」をもう一度歌いました。
ギターの、弦が切れるアクシデントもありましたが、あわてず、淡々と弦を取替えをしていました。
変に落ち着いた、おじさん(私と6歳しか違わないのにずいぶん年上に感じました)でした。
大物感は、このときにはなかったのですが、
この「傘がない」が中ヒット。
そして1973年リリースの「夢の中へ」が大ヒットします。
で、この年発売されたアルバム「氷の世界」がミリオンヒットします。
1975年、小室等、吉田拓郎、泉谷しげる」とフォーライフレコードをたちあげる。
ただ、「大麻所持」の容疑で警察のご厄介になり、人気が凋落。
その後、陽水のバックバンドの、「安全地帯」がデビュー、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」
を提供、自身の「いっそセレナーデ」もヒット。
「リバーサイドホテル」「少年時代」は自分の曲。
このあとブランクがあり、1996年、パフィーのデビュー曲「アジアの純真」を作詞、
「渚にまつわるエトセトラ」も作詞。
現在に至ります。
|
スポンサードリンク
|
 |
|
|
|
|
|
|
Copyright (C) J-POP アーチスト 名鑑 All rights reserved |
|
|
|
|